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引手の歴史

引手の歴史

『引手の山解説』

衾田御陵

人麻呂歌碑

景行・崇神陸をすぎて、山の辺の道は、長岳寺付近から中山町・萱生町(もと山辺郡朝和村)と、竜王山の西麓を北に延びていたらしい。 竜王山(五八五メートル)は、穴師山に続く山魂で、これが「引手の山」であろうといわれている。中山・萱生一帯は、萱生千塚でも聞こえているように、 古墳が累々としていて、その中でひときわ大きくこんもりと松樹に覆われた前方後円墳が天皇皇后、手白香皇女の衾田陵である。
中山町小字西殿塚にあたる。

犬養 孝著『萬葉の旅』(上)より

『歌碑建立地』 奈良県天理市中山町小字西殿小路口

引手は、もともと大陸から伝わったものだろうかと思われます。
今日の引手とは、違いもあると考えられますが、想いを遠く大和の昔に馳せますとき、幾星霜をへて、今日、大和が襖の引手の主産地であり、 しかも天理市にその生産が、集中していて、製作地にほど近い所に、衾田陵や、引手の山(竜王山)の萬葉故地があることを思えば、 私ども、思いもよらない不思議な因縁だと思われます。

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